つまり、あなたの苦しみ、悲しみの原因は外にではなく、
実はあなた自身の内にあったのだ、と言う事に気づいていく世界です。
仏教は自分の願いを叶える為の教えではありません。
反対に、自分の願いや欲望を、仏様に叶えさせようとしている
傲慢な己(おのれ)の姿に気づかされていく世界。
なぜなら、
すべての苦しみの原因は有りのままの現実を、そのまま受け取れない
自己中心的な私の心「煩悩」にあるからです。
「煩悩」は決して満足する事がありません。
一つ満たしても、次から次へと欲望はあふれ出てきます。
この「煩悩」に翻弄され、私達はこの「いのち」を無駄に費やすのです。
仏の教えは、この私に「煩悩」の正体を明かし、この燃え盛る「煩悩」を
コントロールしながら、生きていく智慧を与えて下さいます。
お釈迦様が開かれた「仏教」は、「この私が仏になる」教えです。
この「煩悩」を離れることが、成仏なのです。
この世での、富や名声、無病息災、望むものを得る為の教えではありません。
なぜなら、お釈迦様の人生はそれらを、すべて捨てるところから始まったのですから。
あなたも、本当の仏教に出遇ってください。
そして、仏の智慧を頂きながら、共にこのかけがえのない「いのち」を
精一杯生ききる事が出来ますように。
ご一緒に仏道を歩みましょう。
その方の名前は、ゴータマー・シッタルダー
釈迦族の王子であった彼は、生まれたその時から、
私達がしあわせの条件として思い描いているすべてのものを
持っていらっしゃいました。
富と名誉、若さと美貌、美しい妻、約束された将来と子ども。
カピラ城の高い塀に囲まれた楽園には、
美しい音楽や花が咲き乱れ、若く見目麗しい人々と共に
人生を謳歌していたのです。
―何の疑問も抱かずに。
ところが、29歳の或る日、城壁の外の世界を始めてご覧になりました。
東の門から出たとき、腰の曲がったシワだらけの老人に出会い、
―この若さや美貌が永遠には続かない事を知りました。
南の門から出たとき、病人に出会い、
―この健康はいつまでも続かない、いつかは病む肉体なのだ。という事実を知りました。
西の門から出たとき、死者の弔いに出会い、
―この命は死という形で、最期には硬く冷たい骸(むくろ)と化し、
すべてを残して、だった一人で去っていくのだという真実を知り、驚愕されたのです。
この命の抱える根本的な苦悩、「生老病死」
この問題を解決しない限り、いくら上辺だけが満たされていても、
それは幻想にすぎないことに気づかれたのです。
そのまま、出家してしまわれました。
王位、財産、両親、愛する妻、生まれたばかりの一人息子・・・・
彼はすべてを捨てました。
だた・・
「生老病死」を乗り越える答えを求めて、求道者となられたのです。
6年間に渡る苦行のすえ、35歳の時に有名なブッダガヤの菩提樹の木の下で
悟りを開かれ「ブッダ」になられました。
私達は親しみと敬意を込めて「お釈迦様」とお呼びします。
「ブッダ」とは、インドの言葉で「目覚めた者」という意味です。
では、何に目覚めたのでしょう?
―それは
この流転する万物を存在たらしめる、不変なる宇宙の真理。
決して変わる事のないもの(真如)に照らし出されて初めて
自分が流転している身である事実を認識できるのです。
この真如から出でて、来る(きたる)ものを「如来」と呼びます。
この宇宙や、地球や人間が存在するずっと前からそこに存在している
すべての「いのち」にかけられた、
不可称不可説不可思議の大きな願い、はたらき、法則。
「すべての物は縁によって繋がっている」
お釈迦様の最初の説法はこの「縁起(えんぎ)」の教えでした。
いまある事象は、すべて過去からの無量無数のご縁によって存在している。
父と母と、祖父と祖母と・もっと、もっと・・・
10代前は1024人、20代前に遡ると100万人以上の親と繋がっています。
その中の、誰か一人でも欠けていれば、
今、私にこの「いのち」は届いていません。
だからこそ、人ひとりの「いのち」は地球よりも重いのです。
それ程、尊いたいせつな私の「いのち」です。
いいえ、私だけじゃなく、貴女の「いのち」も、貴方の「いのち」も
皆が等しく、尊い「いのち」を生きているのです。
だれにも代わることの出来ないたった一つの私の「いのち」
一体どのように生きて、繋げていけばいいのでしょう?
お釈迦様の残された教えは、8万4千と言われています。
それは、
優れた医師が病人の症状にあわせて薬を処方していくように、
お釈迦様は、今、目の前で苦しみに打ちひしがれている一人ひとりに合わせて、
解りやすく教えを説いていかれたからです。
しかし
その教えのすべては、この「いのち」をつぎに仏へと転じていく教えでありました。
この「いのち」を流転する世界から
永遠に変わることのない、真理の領域に帰する道こそが
「生老病死」の苦悩―すなわち、生死(しょうじ)を超える唯一の方法だからです。
「縁起」の中では、生も死も一つの通過点でしかありません。
この「いのち」は仏への道を歩み続けるのです。
もう、二度と苦しみの世界を流転しないように。
多聞第一と言われたお弟子の阿難(アナン)尊者がお側におりました。
悟りを開かれてから45年間、ひたすらにインドの大地を歩き、
教えを説かれた求道者としてのお釈迦様。
その側近くで、一番多くの教えを聞いてきたはずなのに、
その時、阿難尊者はまだ悟りに至っていませんでした。
「お釈迦様が入滅してしまわれたら、自分は誰の導きによって仏となれるのか?」
彼の心は絶望と悲しみで一杯でした。
ただ、傍らで嘆き悲しむ阿難尊者にお釈迦様は遺言を残されます。
それが、[自灯明、法灯明]教えです。
すなわち、
「お釈迦様の残された法(おしえ)に照らし出された自分を拠り所とし、
自分を照らし出してくれる法(おしえ)を拠り所として生きていきなさい。
そうすれば、すみやかに悟りにいたれますよ。仏になれますよ。」
という、教えです。
阿難尊者はお釈迦様の入滅後、この教えによって悟りに至ることができました。
この阿難尊者のお陰で、お釈迦様の入滅後2500年たった今の私達に
この最期の教えが残されたのです。
すべての仏弟子、仏教徒はこの阿難尊者の問いを自らのものとし、受けとめました。
そして、お釈迦様が説かれた、8万4千の教え(法)の中から
どの教えを自らを照らし出す「法灯明」としていくのかによって
仏教は様々な部派、宗派に分かれて行ったのです。
今、私達が生きている時代に一番相応しい教えを選び取られました。
お釈迦様の入滅から2500年。
そのみ教えだけが残り、その行者も、それによって悟りに至る者もいなくなる時代。
時代、見識、心、人間の資質、命が濁る五濁(ごじょく)の時代。
この末法といわれる時代にこそ、相応しい「法灯明」
それが
親鸞聖人が「真実の教」と崇められた、
「仏説無量寿経」
そこに説かれているのは、
―どうして、阿弥陀如来が頼みもしないのに、この世におでましになり、
この私の「いのち」を仏にすると働いて下さっているのか・・・
―どうして、この煩悩だらけの私を「そのままでいい」と、
抱きとめて、収めとって下さっているのか・・・
その、現在進行形のお救いが説かれているお経です。
親鸞聖人はこの教え(法)に照らし出されたご自分を
「罪業深重の凡夫」「煩悩具足の凡夫」
と受け止めていかれました。
だからこそ、この自分を救いの目当てに働いて下さっている
阿弥陀如来に帰依していかれたのです。
真実なる真如の領域から出でて来られた阿弥陀如来
その救いの目当ては十方衆生
この五濁悪世で苦しみ、迷っている者を一人も漏らさず仏にすると誓われました。
真如の世界から、この苦しみの世界に届いて下さる仏様。
私の口から、「その御名」が出てきたとき、
この私の「いのち」が悟りの世界への旅を始めるのです。
自己中心的な心に縛られ、翻弄され、
思い通りにならない人生に苛立ち、
逃れられない「生老病死」の苦しみに嘆き悲しむ
―この私の「いのち」を・・・・
摂取して、決して捨てない仏様。
この私の苦悩の為に、この私を仏とする為に
如来となられた仏様
「なもあみだぶつ」がこの私の「いのち」を共に生きて下さる。
たとえ、どんな人生であっても
この「いのち」をけっして無駄にはしない。
この煩悩だらけの私が、このままで仏へと転ぜられていく不思議。
私達人間の
知恵や想像をはるかに超えた真如の世界。
不可称不可説不可思議の功徳がこの身に一つとなる。
私の口で称える「なもあみだぶつ」
それが、阿弥陀如来のはたらきだったと気づいたとき、
私の「いのち」は仏へ転ぜられていく。
私を仏へとそだてて下さった、沢山の「いのち」が、
今、「なもあみだぶつ」の中で輝いている。